オレ・オレ(おみやげ)

 いまN.ミクルホ・マクライの『ニューギニア紀行 / 十九世紀ロシア人類学者の記録』を読んでいる。
 1870年、24歳の若きマクライがニューギニア北東海岸で15か月にわたって行なった第1回目の人類学調査から、三度にわたる滞在の日々を綴った記録である。学術論文ではないので、著者マクライとかれの関わるパプア人たちの「体温」が伝わる楽しい読み物となっている。
 初めはまったくことばも通じない状態から、じょじょに片言の現地語を覚えて意思の疎通を試みるマクライ、つねに疑心暗鬼を抱きながらマクライに接する現地のパプア人たち。マクライもまた、襲撃される危険性をいつも考慮に入れながら行動する。
 こうした最初の緊張状態が時の経つにつれてしだいにほぐれていく様子も、この日記からうかがえ、読む愉しみも深まっていく。
「あなたは、地上に住むありとあらゆる人間が銃と酒ではなく、思いやりと誠実さによって理解し合える、優しい社会的存在であることを一点の疑問を挟む余地なく実証した最初のひとである」
 と、トルストイがマクライに宛てた手紙に書いたが、いかにもトルストイらしいことばである。十九世紀的ヒューマニズムの「お目出度さ」を指摘するのは簡単だが、その当時は、マクライの行動はこのように評価されていたわけだ。

 
 じつは、この本、だいぶ前に読みかけていて知らぬ間に紛失していた。失くしてしまったあとにも、ときどき気になる箇所や記述が思い浮かんできて、機会があればちゃんと読み終えておきたいと思っていた。
 先日、バリにやってきた友人にお願いして、すでに絶版になっているこの本を探してもってきてもらったという次第だ。


「気になる箇所や記述」とは、この本のいわば本筋とは少し離れているが、「カーゴ・カルト(積荷信仰)」を示すマクライと現地のひとびととのやりとりについての描写なのである。
 カーゴ・カルトとは、「未開」民族、おもにメラネシアの原住民に伝わる信仰で、じぶんたちの先祖あるいは神がいつか海のかなたからやってきて文明の利器をもたらす、という内容である。
 古い映画だが『世界残酷物語』(原題『犬の世界』、‘62、ヤコペッティ監督)のラストシーンは、じぶんたちの頭上を飛来する飛行機が、地上に降り立って富をもたらすようにと祈願し、木やなにかを組み立てて飛行機の「模型」をつくる「未開人」たちの姿だったと記憶している。
 47年も前に観た映画なので記憶はおぼろげなのだが、最後の映像は、現地のひとびとが、当然ながらかれらには目もくれずに空を飛んでいく飛行機を追いかけ、そのかたわらにオンボロの木製飛行機が置き去りにされたように地上に横たわっているシーンだった。
 子どもながらに、なんだか哀しい場面だなと感じた。後年、カーゴ・カルトについてわずかに知るようになり、ああ、あの映画のラストの映像はこれを物語っていたのだな、と理解した。


 ニューギニアは、このカーゴ・カルトの中心地ともいうべき場所で、それをあらかじめ心得ていたのだろう、人類学者マクライはじつにさまざまな「文明の利器」を携えてこの地に上陸している。
 かれが最初に現地のひとと接触したシーンを引用してみよう。かれはボートに乗り、原住民がいそうな村の近くまで接近するが波が荒くボートを接岸できずにいた。そこへ、槍を持ったひとりの男が現れマクライに立ち去れ、としぐさでサインを送る。
「そこで私がボートに立ち上がり数枚の赤い布切れを掲げると、棍棒や槍などあらゆる武器を手にした十二人ほどの原住民たちが森の中から飛び出してきた。」
 マクライはその布を海に放る。それでもかれらは、マクライに立ち去れとばかりに、武器を振りまわしている。マクライは仕方なく、ボートを岸辺から遠ざける。
「我々が海岸から遠ざかるや否や、原住民たちは目を輝かせて我先にとばかりに海に入り、あっという間に赤い布切れを持ち去った。」


「文明の利器」といったところで、「赤い布切れ」なのだが、このほかに「釘」が頻繁に登場する。マクライが現地のパプア人たちと接するたびに釘は貴重な「おみやげ」として使われる。また、かなり贅沢なものとしては「ナイフ」や「木枠付きの鏡」というのも頻度は限られているがプレゼントされた。マクライと現地のひとびととの交流が始まるにしたがって、しかしこのプレゼントは決して一方的なものではないのが分かってくる。
「彼らはココ椰子の実やさとうきびを携えて来た。返礼として私は空箱一個と中サイズの釘をやった。その直後、大勢の男たちが贈物を持って来た。私は同様の釘を二本ずつ渡した。」
 これを見るかぎり、マクライの位置は一方的に富をもたらす者としてだけではなく、同時に「交換」の当事者ともなっている。
 初回の読書では気づかなかったこの点に、いまあらためて読み直しながら気づいたところなのである。

 
 さて、話はバリに移る。バリの「カーゴ・カルト」らしきものの話題である。どういうわけか、ぼくはバリに来はじめたころから、そんなはずもないのにリッチに見られるのか、ひとのいいオッサンと見なされるのかあるいは先祖か神から遣わされた「利器」をもたらす者に目されるのかはともかく、けっこういろいろと「おねだり」された。
 そんな話が、しばらくつづく。