介護ダイアリー 5 おむつ
チェリーはきのうからオムツをしている。
どうやら、尿路系の神経まで麻痺してきているようだ。つい数日前までは、尿意があれば、自力で起きあがり這って外に出ようとしていたが、途中であえなく垂れ流してしまう状態だった。
尿意をつたえる感覚神経は正常だが、括約筋に指令をくだす運動神経がすでに使いものにならなくなってきたのだろう。
昨日のチェリーの様子をみると、どうも尿意すら感じなくなっているようだった。眠っていても、目覚めていても、自然に尿がでてしまう。
失禁である。
ウブッドのスーパーで赤ちゃん用の「パンパース」を買った。こんな買い物は初めての経験なので気分は新鮮──ということはない。
初めてのオムツ着用。嬉しそうにみえるのはオムツのせいではない。ぼくが外出先から帰ってきたところだからだ。「お帰りなさい」といったところか。工房の隅で。
元来、バリの子育てでは「おむつ」を着けさせる習慣はなかったはずだが、陳列棚をみるといくつかのメーカーのパンパースが、サイズ別に豊富に取り揃えてあるのにすこし驚いた。バリ人の生活習慣が、じょじょに変化している兆しはこんな面にも現れてきている。
Lサイズ、体重9-14kg用で18枚入りが5万3,000ルピア(約500円)だった。決して安いものではない。
(追記 その後、インドネシア製、20枚入りで3万ルピアのものを手に入れた。こちらのほうが横幅もあり実用的だ)
発病からいまにいたるまでの経過は、症状の改善がないままどんどん悪くなる一方だが、チェリーがその状態をどう受け止めているのかが興味深い。
はじめは左肢をもちあげ、ピョンピョン跳ねるように歩いていた。獣医の説だと、この時点では膝の靭帯を切断する事故が直接の原因とはいえ、レントゲン検査の結果からするとすでに「骨繊維症」ははじまっていた、という。
最初にかかっていた獣医の見立ての「脱臼」かとばかり思っていたのだが、それは間違いだったわけである。
このころのチェリーは片脚が不自由ながらも、その不自由さをものともせず、それまでと変わりなく活発に動きまわっていた。
それから4か月後の昨年12月半ばになって、右肢が萎えたように動きが鈍くなり、痛がるようになった。ハッハッハッとせわしない息をするようになったのだ。
この時期には、人間でいえば「落ち込んだ」ような様子をみせていた。ぼくの使っているデスクの横にうずくまり、一日こもったまま外に出ようともしない。顔の表情も、やや呆けたような感じだった。
それでもこの落ち込みの状態は3、4日ぐらいでおさまった。
やがて両肢が動かなくなり、ぼくと丁稚のダルビッシュのどちらかが後ろ肢を抱え込んであげれば、元気よくどこへでも移動して排泄していた。
抱えてもらうのが当たり前という感じで、動きたければこちらの顔を仰ぎ見て催促するのはいまでも変わらない。
何日か前に初めて失禁したときには、さすがに驚いた様子をみせていた。当然である。どんな生きものも、じぶんの寝ている場所で排泄するなどというのは「敵」に背中をみせるようなものなのだから。
だから必死でその場を立ち去ろうとする。
数日前にウチであった「6か月に1度おこなわれる儀礼」。あまりにも儀礼が多くて、このときの儀礼の主旨はいったいなんだったのかいまだに分からないのだが...。
チェリーも自主参加。マンクゥ(僧)の後ろで神妙に座っていた。両肢だけではなく腰も麻痺しているので、すっかり「猫背」になってしまった。礼拝所前で。
段階的に悪くなっていく状況をチェリーはひとつひとつ受け入れているように、ぼくの眼には映る。
肢がつかえなければピョンピョン跳ねる。
両肢が麻痺する、それなら這う。
這うのも長続きしなくなれば、肢をもちあげてもらって移動する。
前肢も弱くなってきたいまは、からだごと抱えてもらって移動する。
オムツも嫌がらず、当然のごとく着けている。
先に、チェリーが、じぶんの身の上に起きている変化をどう受け止めているのかが興味深い、と書いたのはこのことなのだ。
「変化を素早く受容する能力」とでもいうべきものを、じつは感心しながら観察している。
立ち止まらないのだ。ためらいは、新しい状況へのほんのひとときの微調整なのである。
たぶん、ことばを持たない生きものの「特権」であるのかもしれない。
きょうは、つごう5回オムツを替えた。