ツイッターから

 学生時代にやや変わった授業を受講していた。講座名はうろ覚えだが、「世界文学ナンタラ」とかいうものだった。

 どこが変わっているかといえば、なんと1年間、ただの一度も講義はなかったのである! 休講というわけではない。毎週、決まった曜日の定刻に先生は教室に姿を現わすのだが、黒板に「トーマス・マン 魔の山」と書き、「では、来週!」と言うなり脇目もふらずに教室を去っていくのだった。

 一週間後に、学生たちはトーマス・マンの『魔の山』のあらすじを400字詰め原稿用紙1枚にまとめあげたものを提出すると、ふたたびつぎの「課題図書」を指定される、というわけだ。


 サキの短編であれドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』であれ、作品の長短を問わず400字に要約する。
 感想ではなく作品の要約を書く、というのがこの課題のポイントなのだが、どんな小説であろうとそのあらすじを400字におさめるという作業に、じつはぼくはずいぶん熱心になってしまった記憶がある。

 小説というものは、要約すれば、すべてが400字におさまってしまう驚異というかおもしろさが気に入ったのだろう。

 400字というのは、意外と包含力のあるスペースなのだ。



 そんな古い話を思い出したのは、Twitter にアカウントを登録してつぶやきはじめてまもない頃である。

 ツイッターの規定文字数は140字だから、400字よりもさらに狭苦しい枠のなかに文字をつめこむことになる。実際に始めてみると、この140字内という制約は、なにかを軽〜く言うぶんにはなかなか気のきいたスペースであり、同時に、ほかのひとのつぶやきを閲覧するにも、軽〜く読み流していける分量でもある。

 140字は、ネット時代の最大公約数的「原稿用紙」なのだろうか?


 ところが、と、しつこく文字数について感じた話がつづくのだが、140字どころか、われらが祖先はすでに万葉の時代からわずか31文字に天地万有の現象をつぶやいていたではないか、さらに時代がくだってからは五七五のたった17文字に、さりげなく文学を成立させていた事実に遅ればせながら気づいたのであった。



 螢火(ほたるび)を ひとつ見いでて 目守(まも)りしが いざ帰りなむ 老いの臥所(ふしど)に 斎藤茂吉

 この有名な歌をツイッターに引用したのは3月31日のことで、翌月の8日には還暦をむかえるぼく自身の心境のいくばくかを託したのはおこがましいといえば、言える。

 翌日には、茂吉にくわえて蕪村も登場させた。
「葱買(こ)うて枯木の中を帰りけり(蕪村)/ わが生はかくのごとけむおのがため納豆買ひて帰るゆふぐれ(茂吉)…」

 ともに、木枯らしが首筋を吹きぬけていくような侘しさを感じさせる句であり歌であるが、引用の主旨はそこにはない。
「たまたま今日、納豆を買ったので思い出した茂吉の歌。蕪村が葱を用意しておいたので、あとはカラシが必要だけど、だれがカラシを買ってきてくれるかな? そろうと面白いのにな。」
 と、つづけたのがぼくのツイートだ。
 
 たぶん茂吉は蕪村の句を前提にこの納豆の歌をつぶやいたのではないだろうか、ぼくはそう推測したわけである。いわゆる本歌取りの手法だ。
 そして、このふたりの句、歌をふまえて作歌しているひとがいるに違いない、とさらに想像するのだが、どうだろうか?



 とまれ、ツイッターをはじめてから、がぜん、三十一(みそひと)文字と五七五の世界にあらためて引き込まれているが、大歌人たちの歌を引用するばかりでは芸がないと、還暦を機にぼくも毎日一句はつぶやいている。


 時、経れば 還流の始点 異土に起(た)つ

 思えば遠くへ来たもんだ、という程度の意味である。