再編への途はけわしい 1 すがすがしくもあり...

 3月25日付けのブログで工房再編成をめざすという話を書いたが、すでに2か月以上過ぎたのに再編いまだならずといった状況にある。


 わずか2人のスタッフが常勤で毎日顔をだしている以外、残りの連中、といってもわずか4人だが、かれらは皆去っていった。
 日給月給のシステムに不満があったのか、あるいは提示された日給額に満足しなかったのか、いずれにしてもそれぞれに仕事を見つけて来なくなってしまったのだ。

 失業率の高い土地で、去っていったかれらが難なくあたらしい仕事を得られたのは幸いではあるが、ぼくが予定していた再編成のシナリオが根底から書き直しを迫られているのは確かで、どうしたものかと思いあぐねている。

 こういう状態を「困ったものだ」とみるかというと、ある面ではそうでもあるし、別の見方をすればそうでもないのは、以前よりもストレスがはるかに少なくなっているせいだろう。



左端は近所に住む主婦。臨時で手伝ってもらっている。右は、ダルビッシュとトゥンパン。“トゥンパン”というのは、お供え物につくられる三角錐形に盛ったごはんのこと。バリ人の名づけかたは自由だ!

 
 人間の数が少なくなったぶんだけ、ゴミが目立って減った…。

 食べ物の食い散らかし、投げ捨てられたタバコの吸い殻、テーブルにコーヒーをこぼした跡、床に吐き捨てられた痰やツバなどなど、以前は、目につくたびにウンザリさせられていた汚れものはほとんど見なくなった。


 こんな場面があった。
 あるとき、トイレの前を通りかかるとドアが半開きになっている。その隙間からひとりのスタッフが壁に向かって立っている姿が見えた。何しているのだろうと、チラッとのぞいたら、なんとトイレの壁に向かって用を足しているのだ!

 どうも最近、トイレの外にまで刺激臭がやたら立ちこめるようになって気になっていたのだが、こういうことだったのか! とガクゼン、納得。
 思いっきり怒鳴りとばしたのはいうまでもない。

 立ちションの習慣が、職場のトイレのなかにまで持ち込まれるというのはいったいどういうことなのだろう? 
 犬の仲間か、キミらは?
 
 
「工房を閉鎖したくなったよ」
「えっ! どうしてですか?」
 と、驚いて聞き返したのは、かつてぼくの右腕として働いていたMである。
「きみらの不潔好きにガマンできないからサ」
 ただでさえ大きな目を、さらにひろげてMはあきれたようにぼくを見た。
「そんな理由で会社を閉鎖するなんて聞いたことありませんよ。笑われますよ」

 笑われるのはべつにかまわないが、こういう愚かしくも情けない理由でぼく自身が仕事から引き退がるのをためらうだけだ、そう思った。

 この会話は5年も前のやりとりである。


 けっきょく、こんどの再編成の準備を始めかけたところで、長年耐えつづけてきたストレスから、思いがけぬかたちでひとまず解放された。
 ひとが少なくなれば、ゴミや汚れが減るのは当然といえば当然なのだが、なんだか吸う空気まですがすがしく感じるようにもなったのである。


 ところが、誤算というか、やはりそうだったかと思わず唸ってしまう現実にいま直面している。


 残留組ふたりは一生懸命に働いている。いままで6人がかりで手分けして片づけていた仕事を、あれも手がけこれもこなしと休む間もなくからだを動かしている。見ていて気持ちがよいくらいだ。
 

 気持ちはいいのだが、どうもその成果がかんばしくない。おしなべて、紙を一定の厚さに漉くことができないでいるのだ。

 たとえば、扇子用の特殊な加工をほどこす紙を、じつはこのひと月くりかえしつくりなおしている。枚数にすればわずか20枚程度の紙を、あるときはティッシュペーパーのように薄く、ときには「ピン、ポーン!」と背中を叩いてあげたい仕上がりで、しかし、いまだ終わりを知らずにつくりなおしているのである…。

 ほかにも、この2か月の間に、かれらの漉いた紙のうち2.7×1.5m のものや、2.8×1.1m、2.2×1.2m のもので何度もやり直しがでている。


 かれらはアホなのか !?  

 いや、そうではない、かれらは典型的なバリ人だからなのだ。

(つづく)