再編への途はけわしい 3 求人活動はじまる

 4月上旬から人を募っていた。

 スタッフふたりだけでは、じょじょに忙しくなってきた仕事をこなしていくにはやはり無理があると考えたからだ。しかも7月には、かなり大切なプロジェクトが控えているし、秋口、さらに年末から大きな仕事が待っているので急遽、ひとを探しはじめたのである。

 同じ轍を踏んではならない、というのがこの求人に際してもっとも重要な前提だった。
 いままでのように、忙しいからといって、そこらにころがってる兄ちゃんを引っ張ってきてそのまま雇用するという、いい加減なやりかたはゼッタイしない、とじぶんに誓った。



ダルビッシュとトゥンパンのふたりっきりで


 求人のタイムリミットを5月半ばに設定したのは、ひと月あまりかけて徹底的に教育すればすくなくとも7月のプロジェクトには間に合うだろうと計算したからだ。
 そこで、信頼できる数人のバリの知人・友人に事情を話し、誰かいないだろうかと相談をもちかけたのであった。
 ぼくから示したのは、「欲の皮が突っ張っていない」「ウソをつかない」「表ウラのない」人物という三条件であった。


「能力をとるか、性格をとるかという選択を問題にした場合、ナルセさんは『性格』をとったわけだナ」
 ひとりの友人がそういった。
「その問題についてはぼくもずいぶん考えたけれど、結局は『性格』を重視するところに落ちつきましたね」

 ぼくはバリ人の能力、すくなくともぼくの工房で職人的スタッフとして働いていける能力にかんしては、7割がた信じている。10人いれば、ほぼ7人はやっていけるだろうという意味だ。
 かれらバリ人のクラフトセンス、ものづくりのための基本的な能力はきわめて高い、とぼくは評価している。
 さらにすぐれた手技の持ち主となると、経験的に見れば5人にひとりだろう。
 この比率が上向くかどうかは、ぼく自身の教育方法にかかっているともいえるのではないか。



毎日毎日、紙を漉いている


 しかし「性格」──これは教育ではいかんともしがたい、と感じている。


 旧スタッフの芳しくない話を洗いざらいぶちまけるのは、愚痴っぽい印象を残しそうで慎みたいので、ひとつだけ。

 給料日を明日にひかえたある日の夕方、仕事を終えたスタッフが、工房から立ち去ろうとしないのに気づいたのは、ぼくが住まいにもどってしばらくしてからだった。
 ある者は地べたにしゃがみこみ、ある者は外壁によりかかっている。おしゃべりするでもなく、ただ黙然とそういう姿勢をたもったままでいる。
 いつもなら、喜び勇んでバイクのエンジン音をとどろかせ、脱兎のごとく走り去るのに、どうしたのだろう?

「なにかあるな」とイヤな予感を抱きながら、ぼくはふたたび工房まで下りていった。

「どうしたの?」
 と尋ねると、思わず耳を疑うような返事がかえってきたのである。
「給料がほしい」
「えっ!? 給料日は明日じゃないか」
「だって、かれらはもうもらっている」

「かれら」というのは、プリアタンから来ているふたりのスタッフのことだ。明後日、かれらの村で「合同葬儀」があり、このふたりは明日から欠勤となる。つづいて土日の休みとなり、来週の月曜まででてこない。
 だから、この日、ふたりには給料を渡しておいたのだ。慣例として、こういう場合、該当者には給料を前倒しで払うことにしているのは全員承知している。

 そういう事情だからふたりには渡したのであって、きみらは明日まで待つのが当然ではないのか?

 しかし誰ひとり、帰ろうとする者はいない。うずくまった者は上目づかいでぼくを見ている、ぼくのいったことを理解できたのかできないのか、ぼんやりとしているのもいる。
 目をらんらんと光らせてカネ、カネと言っているのではない、たんにダダっ子のように、カネくれるまで動かないという態度。
 しかし、根は同じだ。

 なんなのだろう、このルールを無視した執着心は?

「わかった。それじゃ、さっき渡した給与をもどしてもらえば話はすむわけだ」
 ぼくは、プリアタンから来ているふたりのスタッフから給料袋をうけとると、さっさと家にもどった。


「欲の皮が突っ張っていない」「ウソをつかない」「表ウラのない」人物が求人条件というのは、なんだか奇妙ではあるが、やはり経験的にでてきた「希望」なのである。


 ひと月がたち、ふた月が過ぎてもまだみつからないのは、この条件がネックになっているというわけではないが、いよいよ今月になって、知人のバリ人が、
「このひとはどうだろう?」
 と、ひとを紹介してくれるようになってきた。


 ひとり、ふたりと面接をすすめてきたが、ここでもなかなかスムースにいかない事情がうまれている。
 つづきは、また!