再編への途はけわしい 4 親子のきずな

 ひと選びは慎重に、とことん慎重に、とじぶんに言い聞かせている。

 それで信頼できるバリの知人に頼んで、すでに何人か紹介してもらった。
 お願いしたひとのなかで、プトゥリさんはウブッドの北にある山の中で竹炭づくりを村興しの事業としてたちあげたくらいの、積極的で知的な女性。

 彼女の目にかなう若者を工房に連れてきてくれたのは、もう2週間ぐらい前になる。彼女の親戚筋にあたるらしく、プトゥリさん同様、話し方もしっかりとしているし、ひとに向かうときの視線や態度にも、きちんとした環境で育ったのだろうと想像させる落ち着きがみられた。

 ぼくは、ひと目で気に入った。
「どう、ためしに今日、すこし仕事してみる?」

「いや、今日はちょっと頭が痛くて」

(そんなもの薬飲んで治せばいいのに…。)

 とはいっても、ゴリ押ししてはまずい。ここは鷹揚にかまえて、かれの言い分を聞いておこう。

「それじゃ、治ったらぜひ来てください。待ってますよ」

 ところが、待てど暮らせどかれはやってこない。数日後、プトゥリさんに電話すると、
「なんだか、寝込んでいるらしいの。今日、私、様子を見てきますよ」
 そして、あらためて彼女から連絡があったのだが、医者の見立てによるとなんとかれは「デング熱」にかかってしまったらしいのだ。
 デング熱──蚊が媒介する熱帯性の感染症である。特効薬はなく、ひたすら休養と栄養補給にたよるしか治療法のない病気。

「治るまで待っているから」と、ぜひかれに伝えてほしいとプトゥリさんにお願いして電話をきった。



応援隊はお手伝いの“夏目さん”(右)とそのお姉さん。


 その後、数日して、ふたたびプトゥリさんから電話があった。

 ちなみに、こうして頻繁に連絡をくれるバリ人というのはきわめて珍しいのである。折り返し電話もしないのが普通のバリ人のなかでは、きわめて特殊といえる。
 彼女の心中に、じぶんの故郷の小さな村で仕事もなく日がなぼんやりしている若者たちに、ひとりでも多く仕事の機会を与えたい、という熱心さがあふれているからなのだ。

「親が許さないのです。かれは希望しているのに、両親が反対しているんです」

 親が反対している? あのぉ〜、これは結婚話じゃなくって、求人なんですよー!

  
 プトゥリさん自身は、一生懸命、親の説得に努めてくれたのだが、けっきょく、いまにいたるまでこの話は宙ぶらりんになったままだ。


 一方、もうひとりのバリ人の友人で画家のBさんからも、すこしずつ情報が入ってきた。
 そして、三日前、とうとうかれはひとりの若者を連れてきてくれた。
 その若者の叔父にあたるひととそのこどもまで一緒にぞろぞろとやってきたので、いったい誰が「本命」だかよくわからなかったが、そのなかでも体格のよい朗らかそうな若者が「働きたい」というので、ホッとした。

 叔父さんは、どうぞよろしく頼みますというし、本人のエカも「ぜひやってみたい」という。この5月に18歳になったばかりで、いままで外で働いたことはないのだそうだ。
 

 友人のBさんも、こども連れの叔父さんも帰り、エカはさっそく働きはじめたのである。

 からだの動きの切れがいい、パワーもある、理解力も(たぶん)ふつうに備えている。
 なんとか教育できそうだ、とぼくは踏んだ。



トゥンパンこと三角ご飯(右)の洗浄作業にじっと見入るニューフェイスのエカ。


 翌日、そして昨日とかれは熱心な仕事ぶりを見せてくれた。当座は、ダルビッシュと共部屋でウチに寝泊まりしていればよい。ふたりで仲良く、休日を分け合って帰省も頻繁にできるはずだ。
 ダルビッシュもニコニコと、あたらしい仲間をうけいれていた。


 ところが、昨日の夕方、エカがとつぜん「帰る」といいだした。

「お母さんが恋しくて、夜も眠れないんです」

(そ、そんな !? もう18歳だろ?)

「家を立つときも、お母さんにはろくに話もしなかったし、会いたくてしかたないんです」

(休みの日に帰れば会えるだろうに)

「ここで仕事をするのは楽しかった、バパッのことも大好きです」

 そう言うなり目を潤ませながら、いきなりぼくの首に腕をまわして抱きついてきた。

「ごめんなさい! ごめんなさい!」

 .......。

 
 かれがバイクに乗って小雨の中を帰っていってしまってから、ぼくは紹介者のBさんに携帯メールを送った。

「エカは母親が恋しいといって帰っちゃったよ。まだこどもなんだね」

 折り返しすぐに返事がきた。

「ゴメン」