再編への途はけわしい 番外編

 工房のスタッフとしてどうか、と紹介されたひとのなかにはすでに年齢が30歳を過ぎているひともいた。

 う〜ん、とためらってしまうのは、ひとつには、偏見かもしれないが「教育適用期限切れ」の感じがするからだ。固まってしまった脳機能といっては大いに失礼なのは承知しているが、モノ覚えは、若い人間に比べたら鈍くなるのは当然だろう。

 じぶんのことを考えれば、その通りなのだから。


 固まってしまうのは脳だけではない、からだの動きも同様。


 一般的に、バリのひとびとの身のこなしは優雅といえばいえるし、「トロい」といえばそうともいえる。どちらと見るかは時と場合によるのだが、少なくともぼくの工房ではけっして優雅である必要はない。

 ゆらゆらと揺らめきながら、S字形歩行などしてほしくないのだ。

 まして歳がかさなるほどに、その動きは頑固に固まってしまうのはふだんからの観察で知っている。

 テキパキと動いてほしい。急ぐときには走ってほしい──。
 この観点からも、やはり工房の仕事は若い人間のほうが望ましいと考えている。


 前話で登場したプトゥリさんが、最初に紹介してくれたのが30をちょっと過ぎた男性だった。小肥りで、色黒のグンさん。メタボかどうかは知らないが、腹の出かたは十分にそれっぽい。
 ゼッタイに無理! それで、

「庭師が今いなくて困ってるんだけど、庭仕事はどうだろう?」

 ぼくは尋ねた。すると、すかさず、

「日当はいくら?」

 出来るかどうかも分からないのに、いきなりカネの話をするなよナ。あ、そうか、金額しだいで出来たり出来なかったりするのか。
 もっとも、ぼくのいう「出来る」というのは「仕事をうまくこなせる」という意味なのだが、たぶんそうは受け取っていないだろうな。

 ともかくも、グンさんは翌日から庭仕事に来てくれることになった。


だだっ広い「庭」を芝刈り機で草刈り中。写真は本文中のグンさんではなく、2週間前から働いてくれている新人のWさん。


 来てくれることにはなったのだが、仕事を開始して1時間もたたないうちに顎を出しはじめている。ひざを前に突き出し、足を引きずって歩いている。

「休んでいいんですよ。この仕事は大変なんだから休み休みつづけないとネ」

 汗をびっしょりかきながら、かれは微笑んでうなずいた。

 ぼくの家の場合、庭仕事といっても、ちょっと芝を刈ったりお花を植えたりなどというガーデニングとは大違いで、炎天下、野原まがいの敷地を、重い草刈り機を背負い込み、果てるともなく草を刈り、刈った草を帚で掃いてきれいにするというのがワンクール。これを、ほぼ千坪にわたって毎日つづけるのだ。
 花なんか植えているゆとりなどない。


アフリカンチューリップツリーにたかった害虫を駆除。殺虫剤をつかわず、火攻めで退治。青い空にポツポツと星のように見えるのが害虫


 ひたすらの肉体労働なのだ。だから、一日の労働時間は6時間、休憩は自由にとっていいことにしている。

 グンさんにもそのことは繰り返し言ってあったが、最初が肝心とばかりやや張り切りすぎたのだろう。だから、すぐに息を切らしてしまったわけである。

 それに仕事の内容は、草刈りだけではもちろんない。
 放っておけばひとの背丈にまで伸びてしまうアランアランを鎌で刈ったり、ニョキニョキと横に広がる大木アルベシアの枝を剪定、ときには伐採までする。まるで、森林保安のような作業まである。


サルではない。アルベシアの大木に登って枝を剪定しているところ。“理想の庭師” Wさんの勇姿。

 グンさんにはちょっと無理かな、と感じていたのだが、そういう話以前のもっと基本的なところでモンダイが発覚。
 二日つづけて芝刈り機をつかった作業は、誰が見ても笑ってしまうような「トラ刈り」なのだった!

 たまたま訪ねてきたカナダ人のデザイナーに、

「日本では、これを“タイガーカット”というのである」

 と説明したが、かれは横縞に刈られた芝生を見て笑いながらうなずいていた。


 グンさんは、その後3日無断欠勤して、2日出勤。すぐに迎えたクニンガンの祭日が過ぎても、とうとう姿を見せなくなってしまった。