番犬の役割  閉じていく思い出のそのなかに 2

 2004年、この土地に簡素な家を建て住むようになった頃、防犯が少し気になった。
 
 メインストリートからわずかに離れた、田んぼの中の開けっぴろげの家構えで、当時はまだ塀をめぐらせる余裕もなかったので、どこからでも入ってこられるありさまだった。

 実際、周辺の農民はじぶんの田んぼに出向くのに最短距離をとろうと、ぼくの目の前を横切っていったり、雨が降ればウチの軒先に駆け込み雨宿りし、そのついでに立ちションしたりといった光景が、不愉快ではあったが、当たり前に見られた。


「だいじょうぶ、だいじょうぶ。ここには絶対ドロボーは入らないヨ」

 と若いバリ人の知り合いがいった。

「誰が見ても、カネのある家には見えないもの」

 !!!!


 それに、当時すでに3匹の犬がしっかりと番犬の役割を果たしてもいた。

 チェリー、その母親のデウィにチェリーの妹にあたるマリーだ。
 引っ越してまもなく、マリーは出産。その娘のミミがおとなたちの間に仲間入り、その数か月後には、どこかの不届き者がメスの子犬を捨てていき、しかたなくアユと名づけて飼いはじめたので、多いときには5匹の犬がぼくのまわりを取り囲んでいたのである。

 が、しかし、である。
 もちろん、侵入者に対して犬はけたたましい吠え声をあげて威嚇するだろう。この威嚇だけで、よほど手慣れたプロの盗賊でもないかぎり退散するとは思う。 
 では、もっと凶悪な強盗であったら?

 たいがいの犬は、かなわぬと見ればただちに退散するのが、どうも「犬の真実」らしい。

 主人を護って勇敢に賊に飛びかかっていく、というのは映画やTVでは当然のシーンではあるけれど、事実はそういう理想的な図からだいぶ遠いらしいのである。


 2008年、名古屋で起きた盲導犬サフィーが主人の身代わりになった事故死などは、滅多にないきわめて稀なケースなのだ。
 だからこそ、ぼくらの胸を撃つ。

 盲導犬として受けた訓練や調教のプログラムを超えた、サフィーの「個性」による行為だったのである。



手前からデウィ、マリー、チェリー、ミミ。午後のおやつのドッグフードを食べているところ。2005年当時。photo by shimobros.



 工房でこんなことがあった。
 あるとき、スタッフのコンと当時働いていた庭師のブッダがふざけて絡み合っていた。

 ──それにしても、ブッダ(仏陀)とはすごい名前ではないか。日本では、じぶんの子どもに“観音”だの“菩薩”などと命名する度胸のある親はまずいないだろう。
 ちなみに、コンはあだ名で、本名はNama、ナマ(名前)という名前なのだから笑ってしまう。
 バリ人の子どもへの命名のしかたは、底抜けに自由だ!


 この‘仏陀’が、かなりのオーバーアクションで‘名前’に殴りかかるしぐさをしたそのとき、工房の隅にいてこの様子を見ていたチェリーが、サッと走って仏陀の背後からかれのふくらはぎをくわえた。

 噛んだのではない、あくまでもふくらはぎを口にくわえ、仏陀の動きを抑えたわけである。

「それ以上動いたら、ガブッと噛むわヨ」


 仏陀はそれこそ石像のようにかたまってしまった!


[
現在いる3匹。手前のデウィはもう70歳ぐらいだろう。最近、睡眠中に失禁するようになった。


 以前は、よほど疲れたときにはウブッドからマッサージ師を呼んで、自宅で揉んでもらっていた。

 この日の夜も、Pに来てもらい自室のベッドに横になりマッサージが始まった。
 チェリーはベッドの脇に横たわっていた。
 マッサージが進んでしばらくして、いきなり強く背中を指圧されたので、ぼくは思わず「ウッ」と唸ってしまった。
 その瞬間、チェリーはガバッと起きあがりマッサージ師に向かい、いまにも飛びかかりそうな姿勢で、

「ガウゥゥ、ガウゥゥ」

 と威嚇しはじめたのである。

 マッサージ師の怖がること怖がること!

「チェリー、だいじょうぶだよ、だいじょうぶ」


 ぼくは急いでからだを起こし、手を伸ばして、チェリーの顔を見ながら頭をなでた。そして、マッサージ師にも、

「P、ティダッ アパ アパ、だいじょうぶだよ」

 と声をかけたのだった。


 番犬としてのチェリーの“職務遂行”の熱心さでは、見ていておもしろかったのは、ほぼ毎晩、本格的な眠りにつく前に、家の外に出て、テラスに立ち東、南、北の三方向に目を配っての「安全確認」があった。
 暗闇の中に、怪しげな臭いがしないかどうか顔をすこしあげ鼻をクンクンとさせて確かめる。その三方向が終わると、西側の家裏にまわり──追いかけて見ていたわけではないが、たぶん同じことをしていたのだろう。


 全方向安全確認後、「ヨシ!」といったおもむきでスタ、スタ、スタとまっすぐに部屋にもどり、一日の最後の任務を終えた安心感からか、ようやく眠りにつくのだった。


 いま残っている3匹の犬は、だれもそんなことはしない。