再編への途はけわしい 5 復帰したアジ
インドネシアの学校では、今週から年度替わりの休暇が約1か月つづく。
先週末、お手伝いの“夏目さん”が帰り際、ぼくに聞いてきた。
「子どもたちが働きたがっているけど、連れてきてもいいですか」
“子どもたち” というのは、彼女の長男と応援隊で来ているお姉さんのいちばん上の娘さんのことらしい。ともに中学2年生だ。
ネコの手よりは遥かにマシには違いない、ぼくは「いいよ」と返事した。
「でも、午前中だけだよ」
と断った。子どもの持続力をあてにする気はないからだ。
ところが週明けの月曜から、旧スタッフのひとり、まったく(!)2か月も「態度保留」していたアジが勤務再開となったのだ。
トゥンパンもダルビッシュもホッとしたことだろう。
おかげで工房はたちまちひとの数だけは増えてしまった。
手前の女の子の足の投げ出しかたに、やはり注目! 奥、右端がアジ。三角ご飯もダルビッシュも昨日からすこし楽になったのではないだろうか。ご苦労さん!
アジが働きはじめたのは6年ぐらい前からだが、とっかかりがケッサクだった。
ある日の午後、ひとりのバリ人が赤ん坊を抱きかかえてぼくの家を訪れた。歳の頃が60歳ぐらいに見えたのは、総白髪だったからかもしれない。かなりの肥満体で、胸に抱いた赤ちゃんがぬいぐるみのようにも見えた。お孫さんだといっていた。その人物が、いきなりこう言った。
「働かせてくれ」
申しわけないが、孫を抱きながら求職活動をしているようなお年寄りには用事はありません、というようなことを婉曲にいった。
「庭仕事でもいいんだが」
といわれても、やはり孫を抱きながらでは…。
「ウチの仕事は若者向きで、お年寄りには無理ですよ」
と、はっきり断ってそのときはお引きとり願ったのであった。
先週から今週にかけあいついで、オーストラリアからのペーパーアーティストのグループ訪問がつづいている。今日はクィーンズランドから12人。2012年に開催される予定の展覧会への招待をうけた。
それから数日後の日曜日、ぼくは隣のレストランのプールを借りて泳いでいた。
当時、このレストランは「つぶれるんじゃないか」と他人事ながら心配になるくらいヒマで、ほとんど毎回貸し切りのように、のんびりと気兼ねなく泳げたのである。
この日もまったく客はなく、たったひとりで快適に泳いでいた。
「仕事はあるか!」
突然、ぼくの耳に大声がひびいた。
クロールで顔をあげた瞬間、プールサイドに人影が見えた。
「仕事!」
と、ふたたび人影が叫んだ。
なんだ、なんだ? ぼくは水のなかで立ち上がり、プールサイドを見ると、なんと先日のオヤジが仁王立ちしながらぼくを見ているではないか。きょうは、孫ナシ。
「このあいだ言ったように、ウチでは…」と言いかけると、
「若いのを連れてきたんだ!」
とさえぎられた。
「お宅で待っているから、会ってくれ!」
もう、自分勝手だなぁ、ひとの都合など気にもかけないんだから。
ぼくは泳いでいるんですよ。休みの日だけ、こうしてゆっくりとじぶんの時間が楽しめるのです──という言い分がまかり通らないのは、このオヤジの圧迫感から十分うかがえた。
やれやれ、とあきらめ、ぼくはタオルでからだを拭いて家に戻った。
これが、アジの父親であった。
かれの2か月にわたる「態度保留」の姿勢を、オヤジの強引さや頑固さと直接むすびつける気はないのだが、どこか相通じるものがあるような気もしないではない。
そうそう、「アジ / Aji」というのはバリ語では「父親」という意味もあったっけ…。