スキンシップ  閉じていく思い出のそのなかに 3

 チェリーが発病し、さらに症状が悪化、やがて最期を迎えるまでおおよそ5か月が経過した。


 昨年12月の半ば過ぎには、後ろ肢が両方とも動かせなくなりぼくと丁稚のダルビッシュが交替で、後ろ肢をもちあげて移動させていた。

 チェリーも心得たもので、ぼくらがヒョイと後ろ肢をもちあげれば、まるで「むかしからこうしていました」といった自然さで、スタスタ歩き、ときには小走りまでしたり、茂みのなかに入り込んだりしてぼくらを笑わせた。


 今年2月上旬にはとうとう前肢もつかえなくなってしまったので、やはりダルビッシュと交互にチェリーをまるまる抱きかかえて、工房に連れていったりぼくの部屋で休ませたり、ダルビッシュの部屋で寝かせたりしていた。

 チェリーが「動きたい」という表情を見せるたびに、行きたがっている場所に移動させていたのである。
 おむつを着けるようになったのもこの頃だ。



 獣医のIB さんが、様子を見にやってきたときにこんなことを言った。

「おかしいなぁ、ぜんぜん病気に見えない」

 骨肉腫にかかっていたら(事実そうだったわけだが)、もっとやつれて弱ってくるはずなのに、と不思議がっていた。
 チェリーの場合、獣医としての経験から、いままで他に見たことがないくらい健康そうだと言うのだ。

 その点は、ぼくも少し不思議に思っていた。元気だった頃よりも、毛並みはかえって良くなっているのに気づいていたからだ。発病してからはまったく洗ってあげることもできずにいたのに、毛に艶はあるし、抜け毛もない、臭いもしなかった。


 あとになって、たぶんこれは飼い主との接触──スキンシップがかつてないくらいに密度の濃いものになっていたからではないか、と思った。
 たぶん、犬の個性に関係するのだろうが、チェリーはよくじぶんのからだをぼくに寄せてくることが多かった。時には、しゃがみこんだぼくの脚のあいだに頭を突っ込んで、なにやら考えこんでいる風にうつむき、じっと動かずにいた。

 チェリーの生涯一度だけの出産で生まれた4匹の子どもたちのうち、オス犬の「ボン」を手もとにおいていたが、このボンはチェリー以上にスキンシップが好きで、ぼくであろうと客であろうと、そばに来るなりそのまま大きなからだを寄りかからせてじっとしていたものだ。

 ボンの記憶をふりかえるたびに、あの寄りかかっているときのボンの温いからだの重さをぼくは懐かしく思い出す。
 人間でいえば、一種のハグ / hug行為なのだろう。



チェリーとの唯一のツーショット。今年1月半ば。


 とうとう肢の骨が4本ともやられ動けなくなってからは、ぼくやダルビッシュにしょっちゅう抱かれていたチェリーは、心理的には、きっといたく満足していたのではないか、という気がする。
 そんな満足感が、重い病気にもかかわらずチェリーの表情をおだやかなものにさせ、毛並みの状態まで安定したものにさせていたのかもしれないと思う。


 死の十日ぐらい前から、チェリーは激痛に苦しむようになっていた。その頃服用させていた鎮痛薬「リマディル」の量をどんどん増やしはじめた時期でもあった。


 ふだん、夜は丁稚の部屋で眠るのだが、この頃は、夜中に痛みが激しくなると決まってぼくの部屋に移りたがるので、ぼくのベッドの脇、机の横にタオルを敷きその上に横たわらせていた。
 リマディルを飲ませ、ぼくもチェリーの隣に横たわりからだを抱えてあげながら痛みのひくのを待った。横になってそばにいてあげると、落ち着くのだろう、目をあけたままじっとしている。痛みが消えたのかな、と安心してぼくがベッドに戻って1分も経たないうちに、チェリーはふたたび苦しそうにうめき、ベッドにいるぼくを見上げるのだ。

 そばにいてほしいのだ。抱いていてほしいのである。

 ベッドから下りて、またチェリーと並んで横になり抱いてあげる。


 そんなことをひと晩の間に何回か繰り返し、やがて明け方近く、ようやくチェリーもぼくも眠りにつくことができた。(つづく)