迷い  閉じていく思い出のそのなかに 4

 夜中になると痛みに襲われる状態が頻繁になったあるとき、鎮痛薬の効果がなかなかあらわれず、チェリーはぼくのベッドの脇でのたうち回りだした。


 からだをしっかりと押さえながら抱いてあげるのだが、苦しみはつづいている。もう手の打ちようはないのかとやや絶望的な気持ちになったこのときに、初めて「安楽死」ということばがこころをよぎった。



 レントゲン検査の結果、骨肉腫あるいは骨繊維症という「診断」をデンパサールの動物病院の獣医から告げられたとき、

「早く苦しみを取りのぞいてあげるのが最良の方法です」

 と、彼女は最後に沈んだ口調でつけくわえた。


 ぼくはことばには出さなかったが、安楽死の処置は絶対にしません、とこころのなかで答えていた。


 なにが問題となるのか?
 
 これはぼくら人間にとっても同じ条件が待っていると思うのだが、仮に安楽死という最後の手段を講じるとしても、その行為・処置の「正当性」は、本人の同意ではないだろうか。

 チェリーからの同意…。



自力では走ることも歩くこともできなくなってしまった頃。途方にくれ、前途を案じている様子にみえる。たぶん、そうだったのだろう。


 苦しさに喘ぎ、床のうえでからだを回転させているチェリーを見守りながら、けっきょくは、あの獣医の言うとおりなのだろうか、と思いはじめた。安楽死させてしまう後味の悪さ、無念さはいずれもぼくが引き受ければいいのであって、いまはチェリーをこの苦しみから解放させてあげるのがいちばん大切なのだろう、とぼくの考えは傾いていった。

 では、チェリーの同意は──。


 そのとき、唐突に、
「そうか、じぶんの手で逝かせてあげるのが最善なのだ」
 と気がついた。

 第三者の手にゆだねるのではなく、しかも「獣医嫌い」のチェリーが最後の瞬間の記憶にじぶんの嫌がっていたもののイメージのなかで生を終えないようにするためにも、ぼくこそがチェリーの最期を決定するべきだろう、と思った。
 

 ぼくはチェリーの首に両手をかけた。

「チェリー、もういいね。これで終わりにしよう」

 声をかけながら、ちからを込めてチェリーの首を絞めはじめた。


 ついさっきまで喘ぎ苦しんでいたチェリーは急におとなしくなった。目をひらきじぃっとぼくの顔を見ている。
 喉元に両親指を強くあてているので、チェリーは呼吸ができないままだ。息ができなくて苦しむ様子もなく、静かにぼくを見つめている。

 なんておだやかな優しい目だろう。


「だいじょうぶ、分かっていますから、安心してください」

 チェリーのまなざしは、それ以外のものは見えないというように、ぼくにむかって注がれ、目はそう語っていた。

 そうか、なにもかも理解しているのだ、チェリーは──そう思いながら、ぼくは絞めていた手を緩めた。

 ふたたびチェリーの呼吸する音が聞こえた。
 チェリーは首を曲げぼくの手を舐め、さらに首を伸ばしてぼくの顔を舐めつづけている。


 その翌日、チェリーは自殺を図った。(つづく)