足を踏まれる  閉じていく思い出のそのなかに 5

 動物にこころがあるのは自明のことで、身近に犬やネコと暮らしていれば、そしてよく観察していれば、かれらが時として見せる「人間的な」姿に驚くのはしょっちゅうである。

 擬人化して観察しているわけではない。

 喜怒哀楽、好悪の感情、いたわり、嫉妬、ウソやごまかし、感謝の気持ちや謝罪の感情など、じつに豊かなこころを動物たちは持っている。
 ひとがそれに気づかないとすれば、それは、かれら動物が人間のつかうような“ことば”を用いないからだ。

 ことばをあやつるかあやつらないか、ただその違いだけだと思う。


 ただし、うえに並べたような感情やこころの動きは、すべての個体が兼ね備えているとは限らない。

 ある犬は、単純に喜怒哀楽だけで一日一日を過ごし、食う寝る吠えるで一生を終えるかもしれない。
 感謝の念や、申しわけないという気持ちなどひとかけらもない犬やネコだっている。

 人間とそう変わらない、のだ。


 デウィ(チェリーの母犬、ひとの年齢で数えれば70歳ぐらいになる)がまだ若かった頃の話。

 部屋のドアを開けて出ようとすると後ろからデウィがサッと走ってきて、ぼくを追い越しざま左足の甲を踏んづけた。
 その瞬間、デウィはくるりとぼくの前に向き直り、からだを低くして、なんども頭を下げるしぐさをしたのだ!

 内心、驚くやらおかしいやらだったが、ここでニコニコしながら「よし、よし」と頭を撫でたら、足を踏んだのを誉められたものと勘違いされ、以降、しょっちゅう足を踏みつけられかねないのでこのときは、フム、とデウィにむかってうなずいてみせただけだった。



2001年当時。ガルーダとテラスで日なたぼっこ。生後3年くらい。


 犬が腰を低くして頭を下げるのは、「恭順の態度」とみなされている。
 これは、ほとんどの犬が習性として備えていて、優劣の異なる犬同士の間でも見られる。
 つけ加えれば、ケンカに負けた犬は尻尾を股の内側に巻いて同じ姿勢をとるし、ほかの犬のテリトリーに入り込んでしまった弱い犬は、はじめからこの体勢でそのテリトリーを通り抜けようとする。

「ちょっと道をお借りしますよ、いえ、もう、すぐに失礼いたしますんで」

 ほかの犬たちの顔色をうかがいながら、道の端っこをちょこまかと走りすぎていく。
 いわば「エチケット」のようなものなのだろう。


 恐れ多くもご主人さまの足を踏んづけてしまったデウィとしては恐縮至極、すかさず陳謝の態度を見せた、と解釈できそうだ。


 足を踏みつける話で思い出したが、昔、JR総武線の満員電車に乗っていたときの出来事。
 同じ車両の端のほうで、突然大きな怒鳴り声がとどろきわたった。

「おうっ、若けえの、おめえなぁー…」

 ヤだなぁ、こんな混んだ電車の中でケンカか !?

 ぼくだけではなく、たぶん多くの人がそう感じたに違いない。声は異様に響き、本人の顔は見えなかったが、威勢のよさからすれば決して素人筋ではないと直感した。

 車内はシーンとして、この、たぶん素人ではない男の大声が誰の耳にもはっきりと届いた。

「さっきから黙ってりゃあ、ひとの足踏みっぱなしでひとことの挨拶もねえのかよお」

 混んでるからなぁ…。

「おめえな、こういうときはナ、『たいへん申し訳ございませんが、ワタクシの足を、そちら様の足の上にチョットのあいだ載せさせていただいてよろしいでしょうか』っちゅう挨拶をするもんなんだよ。黙ってるんじゃねえよ、痛くてしょうがねえじゃねえかよぉ!」

 車内は大爆笑につつまれた! 誰もが胸をなでおろし、きっと誰もがこの鮮やかで粋な啖呵のおかげで、しばし満員電車の不快感を忘れていられたに違いない。


 そうなのだ、他人の足を踏んでしまったら、知らんぷりはマズいのである。デウィは、このエチケットをわきまえていたのだが、総武線車内での出来事のように、ダンマリを決め込んでいる人間、じゃなくて犬もなかにはいる。



近影。じぶんを棚にあげて言うのもなんだけど、たった9年でドッと老けてしまったねぇ、デウィさん!


 ぼくの経験では、ひとの足を踏んで即座に反応したのはデウィだけで、ほかの犬たちは、踏んだことすら気づきもしない様子で通りすぎていく。(つづく)