日曜返上
「再編への途はけわしい」と題して、番外編もふくめれば7回にわたって書いてきて、じつは途中で気づいたのが、別段、「再編」という事態であろうがなかろうが、仕事を中心にした時間の流れというのは「けわしい」のが当たり前ではないか、ということ。
なにをいまさら、とやや反省してしまった。
けっきょく、新人確保のできないまま、今月は日曜返上で仕事をしている。
中学生部隊はけなげにも、毎日出動してお母さんと並んで働いている。
庭師のWさんことワヤンまで駆り出して、スタジオで仕事してもらっているのである。
いよいよ2個目の制作に着手。まったくかれらの手先の器用さには脱帽!
竹を骨組みにした照明具の制作なのだが、こういうところがバリのひとの凄さで、出来あがっているサンプルを見せかんたんにつくり方やコツを教えると、小刀ひとつで竹を割き、シャッシャッと竹串をつくり、パッパッパと組み立ててつくってしまう──というのは、ちょっとオーバーだが、最初の紆余曲折を経て(2日かかった)、いちおう第一号が完成、それをもとに修正して、もういちど初めからやりなおして、これで大丈夫というところまでいく。
初体験の細工作業は4日でクリアされた。
幸いだったのは、かれがもともと彫刻師だから、造形的なバランス感覚が身についていた点だろう。
いっぽう、今日からしばらく、初代丁稚でとらばーゆ中のマデに応援を頼み、照明具に紙を張りつけていく作業をしてもらうことにした。
紙をくしゃくしゃにして、内側から外側へつまんで重ねながらフレーム部に紙を張る。
この作業は、まずかれがナンバー1の熟練者でつぎがダルビッシュ、ぼくは3番目か4番目というやや情けないポジションなのだ。
ぼく自身は、今日はふたつの建築現場をまわっていた。
ひとつは、紙を貼る計画の壁の実寸の計測に、もうひとつの現場では照明具を吊り下げる天井高の確認と、バナナファイバーで装飾をほどこす円柱の採寸。
うっかりサンダル履きのままで出かけてしまったものだから、現場にあった鉄骨に足をひっかけ指を切ってしまった。
天井に接する円形の直径は2メートル。この柱頭にバナナファイバーを編み込んでいくのだが、アイデアはまだぜんぜんない。
それはいいとして、ともかく、なんだかんだとすこぶる忙しいのである。
日曜返上の多忙さなのだ。
ところが、である。
たいしたものだと言えば言えるのだが、残業はゼッタイにしないのだ、ぼくらは。
朝8時始業、みっちり仕事して、午後4時には全員帰宅。
午後4時の陽射しは、いまの季節のバリではまだ十分に明るい。一日の終わりというよりも、第二ラウンドの始まりのように輝くひかりに包まれている。
この時間配分は、すなわち、日の暮れる前に仕事を終わらせ「日曜はナシ」というのは、たぶんバリ本来の時間感覚に合っているのではないだろうか、と最近になって思っている。
バリで昔からつかわれているやや複雑な暦からすれば、バリの休みというのはヒンドゥの祭礼を中心にもとづいている。
祭礼が、ヒンドゥ教徒全体におよぶものから村単位、あるいは家族単位のものまでさまざまだが、本来かれらが「仕事を休む」というのは、病気以外、ほとんどがこのバリ・ヒンドゥ暦に従った行事のためなのだ。
日本の遠い昔の、盆・暮れ・正月、それに法事や祝い事で休みをとるのに似ているかもしれない。
そんなことをこのごろ思うにつけ、しばらくぼく自身の時間感覚を七曜単位の流れからすこし解き放してみようかと考えている。
どんな変化が、心身に起きるのかちょっと楽しみでもある。
ひょっとして「内なる日本人」の時間感覚がよみがえってくるかもしれないし、まさかとは思うが「内なるバリ人」が目覚めちゃったりするかもしれない。