思い残し切符 1 バリで読む「遠野物語』 2

 

 この4月に亡くなった、作家・戯曲家の井上ひさしさんの数多くの作品のひとつに『イーハトーボの劇列車』がある。
 井上作品のひとつのジャンルをかたちづくる「伝記劇」のいちばん最初の戯曲で、宮沢賢治が主人公。
「イーハトーボ / イーハトーヴ etc.」は宮沢賢治の造語で「岩手県」をあらわしている。


 こまつ座による初演は‘80年、紀伊国屋ホールだったと記憶している。
 NHK放映「ひょっこりひょうたん島」で洗礼をうけて以来、井上演劇のファンであったぼくはもちろんこの初演を観ているが、ぼくのなかでの評価は、ほかの作品に比べるとそれほど高くはなかった。


 しかし、いまだに忘れられないシーンがある。


 劇中ラストで、この世界に別れを告げる人びとが乗り込む列車、これは賢治の「銀河鉄道」を暗示させるものなのだが、その列車の車掌はひとり、ふたりと静かに歩みながらやって来る乗客から一枚一枚切符を受け取る。

 最後に、車掌が舞台正面に立ち、この切符は黄泉の国へ旅立つ人びとが彼らの人生、いま彼らが去っていくこの世界に託した「思い残し切符」なのです、と説明。

 車掌の手に残されたその切符は、最後に観客にむけて、すなわちこの世界にまだ生存しているぼくらにむかってふりまかれる。舞台から客席に向け、チラチラと白い光を浴びた死者たちの「思い残し切符」が散っていく。


 30年も前に観た芝居なので、細部はたぶん違っているかもしれない。


 無念を抱きながら去っていく人びとのこの世への「思い残し」を、切符という小道具に象徴させて幕を閉じる、その終わりかたに井上作品の「温かさ」を感じたのだった。


                 *


 と、書いているところへ、丁稚のダルビッシュが帰ってきた。


 きょうの早朝、

「おかあさんが死にました。これから家に帰ります」

 目が覚めて起きだしたばかりのぼくにとつぜん告げた。

 ぼくは、聞き終わる間もなく目頭が熱くなって思わずダルビッシュの頭を抱え込み「おかあさんが死んだのか…」とつぶやくと、

「いえ、おばさんですよ」

 とダルビッシュ。
 え、おばさん? さっき、おかあさんって言わなかった?

「おばさんです」

 それならよかった、とも言えずぼくは黙り込んでしまった。


 そのおばさんの埋葬をすませ、夜になって帰ってきたのだ。

 昨夜7時ごろに亡くなったのだそうだ。
 夕方の漁から帰ってきた息子たちの収穫を積んだ笊を頭のうえに載せ、浜を歩きだしてまもなく、急に具合が悪くなり倒れ、病院に運ぶまもなくそのままこときれたらしい。
 直前まで、健康そのものの暮らしぶりをみせていたおばさんの突然死は当然周囲を驚かせた。


「おばさんは、家族のひとたちとなにか話はできたの?」

「なにも話せなかったみたい、スプーンではこんだ水も飲めないまま死んでしまったそうだから」


                *


『遠野物語』第二二話。

「佐々木氏の曾祖母年よりて死去せし時、棺に取り納め親族の者集まりきてその夜は一同座敷にて寝たり。」

 佐々木氏の祖母と母にあたるふたりの女性だけは囲炉裡に寄り、火を絶やさずにいるところへ、裏口のほうから足音が聞こえるのでそちらを見ると、亡くなったはずの老女がやってくる。

 囲炉裡のわきを通り過ぎ、親類縁者の寝ている座敷に入っていった。その時、この「死者の娘にて乱心のため離縁せられたる婦人」がけたたましい声をあげ、「おばあさんが来た」と叫び、眠っていた人びとは驚いて飛び起きた。


 この老女の話題は、二三話へとつづく。