ウィークエンド・レポート

8月30日(月)

 スタッフのひとりアジの父親が先週から慢性的な腸閉塞で苦しみだし、今日、ギアニャールの公立病院に入院。検査しだいではそのまま手術もありうるので、父親を病院まで介添えするという理由でかれは仕事を休んだ。


 肝炎や腸チフスとともによく耳にする「腸閉塞」は、よもや風土病か? と疑いたくなるくらいだ。原因はさまざまらしいが、調理につかわれる大量の香辛料も一因になるのだろうか。

 ぼくの場合、激辛バリニーズフードを食べたあとはほぼ下痢をすることになっている。


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 家族の絆のつよい土地柄にくわえ、末子男子相続の習慣のあるところだから、跡継ぎたる者は全面的に、というのはもちろん経費をふくめてだが、いろいろ負担する立場におかれるようだ。アジにしてもしかりで、今週はつごう3日にわたり父親のための付き添い休暇となる。


 丁稚のダルビッシュも、まだまだ頼りないがゆくゆくは家の跡継ぎで、たしか2年後に予定されている身内の大きな火葬儀礼の負担金を課せられているようすである。

 そんな話し合いのもたれた家族会議以降、かれが「朝食抜き」をつづけているのを知っている。それまでは夜になるとスーパーでよくスナック菓子などを買っては、ぼくにもときたま分けてくれていたが、そんな買い食いもピタリととまった。

 
 そして、さらに痩せていく。


 31日(火)

 6月に工房を訪れたオーストラリアのペーパーアーティスト・グループが発行している " News letter POQ" がメールで届いた。



クィーンズランドをベースにした彼女らは民間のひとを巻き込んだ活動もしているらしい。木綿やデニムの古着に紙を“コーティング”する試み。

 
 ぼくの工房を訪ねたレポートが1頁にわたって紹介されていた。


 In the studio we oohed and aahed over a large selection of beautiful fine, handmade papers, some of which had been textured using different moulds including rattan which produced a beautiful "pin-pointed" effect.


「スタジオでは、大判の精選されたみごとな紙の数々に、私たちはオーだのアーだのと声をだしていた。テクスチュアをつくりだすために異なる流し型をつかうが、籐を型につかったものではピンの先でつまみあげたような美しい効果をもった紙もあった。」



うえのレポートにあるピンポイント効果をうみだした紙。



 熱心な見学者にはぼくも説明にリキが入って、オーヨーにつくりかたまで教えてしまう。するとふたたび「オー」だの「アー」だのとなるのだが、かれらの口からもれるそういう音をぼくとしてはけっこう楽しんでいるのである。


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 夕方、デンパサール在住の知人から電話があった。

「紙あるぅ? 奈良のT寺の管長さんの誕生祝いにバナナペーパーを贈りたいのよぉ」

「いつ必要なんですか?」

「いまから行くから」

 っていわれても、そんなたいせつな用向きでつかう紙ならちゃんとはじめからつくるのに──こちらの言い分など耳に入る相手ではないのは承知しているが、それにしても...。

 大急ぎで紙のストックからつかいものになりそうなものを選ぶ。1m幅で長さ2mのものがあったのを用意した。

 桐箱にでもいれたら見栄えもしようが、そんなもんあるわけない。
 ボール紙を芯にして、プチプチの空気袋のついたビニールで包む。


 いかにもバリからです、という感じだけど、それもいいか。


9月1日(水)

 バリポストに、学齢期にある子どもたち(6歳から18歳)がいま、経済的理由から退学の危機にあるという記事が載っていた。

 その数はバリ州にかぎっても 129,848 人にのぼるらしい。

 ブレレンの 41,716 人を筆頭に、カラガッサム 34,633 人、バンリ 21,163 人とつづき、この3県だけで全体の75%を占めている。


 数字はそのまま、この3地域の貧困の度合いを示している。


 実際に、年間どのくらいの子どもたちが中途退学を余儀なくされているのか、その正確な数字は挙げられていないし、またこの学齢期にある子どもの総数も新聞にはでていないので比較のしようもないのだが。


 この予想される中途退学者の数は、先日発表された国勢調査によるバリの総人口 3,891,428 人の 3.3% にのぼる。


9月2日(木)

 夜7時からウブッド王宮のプリ・サレンで能の公演があった。「羽衣」と「石橋(しゃっきょう)」がダイジェスト版で演じられた。

「羽衣」の開演とほぼ同時に、道をはさんだ向かいの集会場でツーリスト向けのガムラン演奏がはじまり、観ているひとのなかには「ひょっとして、ガムランとのコラボ?」などと期待したり、戸惑ったりしたひとも多かったろう。

 ガムランのBGMで能を観るという、期せずしてきわめて稀な体験をしてしまった。

 
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羽衣」の一場面。

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 公演前にすこし早めに夕食を、とプリ・サレンのむかいにあるレストランに入った。夕方のひかりが強くなってきているのを感じる。

 南半球が春にむかっているひかりだ。


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午後6時過ぎの屋外の光景。じゅうぶんに明るく、たそがれの気配すら感じさせない。


9月3日(金)

 夕方になって、九大の F 先生に率いられた学生たちがやってきた。

 すでに工房の仕事は終わり、スタッフたちも帰ったあとだったので制作の場面をご覧にいれられなかったが、先生や若ものたちと穏やかなひとときを過ごす。



かれらの帰りまぎわに、シャッターをきる。


 8月にワークショップをした女子大生たち、その直後にスタディ・ツアーで工房見学にやって来たジャカルタの学生たち、そしてきょうの九大の学生たちに共通して感じたのは「オープンマインド」な若者たち、という点だ。


 日本人はふたたび変わってきているのだろうか?