昨日のはなし
九月に入ってから再び雨の日が多い。
今年はけっきょく、乾季特有のすがすがしい一日に恵まれる機会は、例年とは比べものにならないほど少なかった。
昨日は午後から、バリ人画家ブディアナさんのスタジオを訪問する九大の学生たちに合流することになっていたが、朝から降りつづいていた雨の様子をみはからっているうちに1時間も出遅れ、小雨のなかバイクを走らせた。
ブディアナさんの画業の特徴をひとことでいえば「伝統技法と表現主義の融合」ではないかと初めてかれと知り合った頃から感じている。
テーマあるいはモチーフは自然やヒンドゥ伝説に題材をとったものが多いのだが、カンバスに発露する天地や魑魅魍魎(ちみもうりょう)のエネルギーは、表向きの温厚な人がらとは異なり、かれの内部に渦巻く多様な情念なのである──そんなふうに、かれの描くものを見てきたが、そのありようは、ぼくにはバリ人の一般的特性のようにも映る。
「水のなかの火」
表面は澄明でおだやかな水の内部に、燃えさかる炎がかくされている。
ぼくのバリ人観として、かれにそんな話をしたことがあるが、そのときかれは黙って聞いているだけだった。
ブディアナさんのスタジオで絵を見る学生たち。作品にむかって、どういう「とっかかり」が彼らのこころに生まれるのだろう。
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学生たちと円陣を組んで座りこみながら話しているところへ、ブディアナさんの携帯にひっきりなしにコールが入る。
「ギアニャール県の前知事が溺死したらしい」
かれはぼくに耳打ちした。
前知事のA.A.バーラタ氏は、ブディアナさんの絵の理解者でありコレクターでもある。
学生たちとのやりとりも終わりかけたところで、かれはスタジオをあとに急ぎ前知事宅にむかった。
今朝の「Bali Post」によれば、溺死したのは知事ではなくその奥さんのほうであった。
ふたりで海岸を散歩していて、海に流れ込む小川を渡っていたときに足を水にすくわれともに海に流されてしまったのだという。
雨季まがいの天候がつづくせいで、小川はふだんよりも増水していたに違いない。
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誘われて夕方からクタのプラザ・バリに日本民謡を聞きにでかけた。
この夏は、日本からやって来られたひとたちの講演やパフォーマンスにでかける機会が多かったのだが、どれにしても「消化不良」のまま気づいてみればいたずらに時間だけが流れていった気がする。
この夜は、数年前に「民謡日本一」に輝いた寺崎みゆきさんの公演。
第一声を聞いて、やはりスゴイひとは凄いと感心する。「コキリコ節」にはじまり、歌謡曲もまじえ最後は「故郷」の大合唱で終わった。
歌手の寺崎みゆきさん。ステージのバックにあるのは、在住日本人女性のグループ「スアール・プトゥリ」が演奏する竹ガムラン。
広い会場ではないのだから、マイクなしで歌われたほうがもっと印象的だったのではないかな、とまたぞろわが身中のブツブツ虫がブツブツとつぶやいていた。
年々、機械を通した音が苦手になってきているのだ。
TVもしかりオーディオもしかりで、ナマの音に優るものはないと感じている。もちろん、加齢とともに、ある周波数域が聞きとれないために、音が「雑音化」してくるという傾向もあるのだが、長い間、機械音に対して疎遠な暮らしをしていれば耳はおのずと苦手なものに敏感になってくるものでもある。
いつだったか、日本から来ていた友人の運転する車の助手席に乗っていたときのこと。
安レンタカーだったのでクーラーも効かず、窓を開け放したままウブッドの通りをゆっくりと走っていた。渋滞ではないが、路上の車の流れが全体にゆるりとしていた。
耳に入ってくる人びとの声。それは擦過音の響くバリ語であったり、インドネシア語の物売りの声であったり、わずかな英語の会話音であったり...そしてモーターバイクの音、鶏の声、犬の吠え声など路上やその周辺でたちあがるありとあらゆる音が、耳にはいってきた。
車のゆっくりとした動きに応じて、それらの音色が届いては遠ざかりながらつぎつぎと変化していくのである。
音の風景。
このときは、巧まざる音楽を聴いているような心地よさにひたっていた。
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コンサート会場を出てから、近場でディナーをということになり、空港近くのトゥバンにある中華レストランに入った。
中華料理を食べるのは1年ぶりくらいではないだろうか。昨年秋にプラザ・バリ内にオープンしたイタリア料理店のエントランスに紙のオブジェをセッティングしたが、そのおり、オーナーに中華をスタッフともどもご馳走になって以来である。
昨夜はそのオブジェのコンディションを点検するつもりもあって、遠路クタまで足をのばしたのだが、これといった問題もない。
床に接した部分だけが、たぶんひとに踏まれたせいかわずかに汚れていた。
今年のはじめに帰国したフラワーアレンジメントのSくんとの共同作品。
「正月までに手を入れてよ」
友人でもあるオーナーが言った。
「正月までに...」
その言いまわしに、懐かしさを感じた。
忘れかけていた季節感がよみがえったのかもしれない。