帰ってきたココカン

 

 今朝はいつもの朝と空気が違うと、起きてしばらくしてから感じた。


 新聞をひろげていても,コーヒーを口にしているときにも周囲のなにかが微妙に変わっていると気になりだした。開けっぴろげな造りの家だから、外と内との境などあってないようなもので、だから昇りはじめた太陽はいつものように椰子の木のむこうに橙色に輝き、陽をあびて薄紫色に染まるアグン山はきのうの朝と変わりなく家のなかにいても目に映る。

 きょうも穏やかにつつがなく一日が過ぎていくのを予感させる、乾季特有の爽快な朝だ。


 それなのに、やはり微妙な異変が「空気」を変えている。


 と、あらためて思ったそのときに、視界のはずれを横切っていくものに気づいた。


 空を、低く、旋回しながら、いままで見たこともないくらいにたくさんのココカン(白鷺)が舞っているのが目にとまった。
 数十羽のココカンは、西側にひろがる田んぼから家の庭までのおよそ50メートルほどの間を円を描きながら飛びつづけているのだ。



 そうだったのか、この群れなして飛ぶ鳥の影が知らないうちに目の端にはいってきていたのだ。うねるように旋回し、つと視界から消え、そしてふたたび視界に飛びこんでくるのを繰り返していたその動きの断片がかすかな刺激となって意識をかすめていたから、なにかいつもの朝とは違う感じをもちつづけていたわけだと、腑に落ちた。


                   *


 この数か月、周辺の田ではスイカの転作がおこなわれていたせいで、それまでここを餌場にしていたココカンが降り立って餌をついばむ余地がないほどに、見渡すかぎり線条に覆われたビニールシートが畝をなしていた。
 5月末にはスイカの収穫もすべて終わり、この数日でビニールシートも取り除かれ乾いた土が顔をだしていた。
 昨夕は、ほんのわずかのあいだだったが、田の土起こしをはじめている農夫の姿も見えた。
 聞くところでは、今季は米づくりにもどるそうだ。


 そんな変化を、北から南へ毎朝行きかっていたココカンは観察しつづけていたに違いない。


 


 大挙して訪れたココカンは旋回を繰り返しているうち、やがて周辺の椰子の木という椰子の木の葉に点々と着地し羽を休めている。数羽だけが地上に降り、歩きまわりながら土の状態を調べているのを、はるか高みからじっと見ている。


「時期尚早」と斥候が報告したのだろうか、まもなくココカンの群れは椰子の木からいっせいに舞いあがると、白い羽を輝かせながら南を指して飛び去っていった。