蝉の声
いまさらいうまでもなく、田んぼに囲まれた場所に住んでいるせいで朝と夕暮れ時にはココカン(白鷺)が餌をもとめて舞い降りてくる姿を眺めたり、蛇が家のなかにまで入りこんできてびっくりさせられたり、庭では蝶や蝉の羽化のようすを観察して楽しんだり、夜になれば蛙の声や虫の音が自然に耳にはいってくるし、蛍がふわふわと闇に浮かぶ光景も目にしたりする。
田舎暮らしには、心地よいこともあれば多少は不快なこともある。
このひと月ばかり、虫の声が鳴りやまずちょっと喧しすぎないかと感じていた。
いや蝉の声かもしれない。ここで聴こえる蝉の声はだいたい高音で金属的な音──聞きようによっては曇りガラスをこするような音だったりする。いろいろ検索してみたらタイワンヒグラシのこのトーンをさらに高くした音に似ている。
気になりだすと、けっこう不快になってくるものだ。
種類はわからないものの、とにかく、四六時中、朝から晩まで蝉の声が聴こえているものだから、蝉というヤツはこんなふうに休みなく鳴きつづけるものだったろうかと、不思議にも思っていた。
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きょうは、ウブッドの北、スバリ村に住むアメリカ人の家を訪ねた。つい最近知り合ったばかりなのだが、昼食に招ばれたので喜んで馳せ参じたのだった。
ぼくの家の場合は「田んぼに囲まれた」と形容するのがふさわしいが、彼らの(カナダ人のパートナーとふたりで暮らしている)家は「ライスフィールドを眺望する」といったほうがぴったりする、広い敷地に趣味のよい建家が4棟並び、四阿(あずまや)のほかにもティータイム専用の「離れ」などが、敷地の傾斜面にしつらえられている。
当然、プールもある。
寝室以外のすべての部屋を見せてもらいながら、蝉の声が聴こえているのにふっと気づいた。これだけの木立に囲まれているのだから不思議でもない。
そして、瞑想室に案内され、部屋の扉を閉じたとたん、それまで聞こえていた環境音がすべて消えた──蝉の声以外...。
あれっ?
「この部屋は防音になってますよね」
「ええ、外の音をシャットアウトするように」
と、サンスクリット名をもつNがこたえた。
すると、この蝉の声は ?!
写真を撮られるたびに、寄る年波をしみじみと感じる。彼らの飼っているゴールデンリトリバー「ナンタラカンタラ」(サンスクリット語だから覚えられない!)と。
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3年前の一時帰国の折り、耳鼻科医の友人に聴力検査をしてもらったことがある。
「将来、確実に老人性難聴になるね」
と、太鼓判を押されてしまったのだが、その「将来」がこうも早々とやって来るとは予想もしていなかった。
蝉の声でも虫の鳴き音でもなく、確実に難聴にむかう耳鳴りだったとは...。
それにしても、迂闊というか暢気だったのは、この耳鳴りがいつでもどこにいても蝉の声だと疑わずにいたことだ。
夜、走る車の後部座席でぼんやりとしているときにも「このあたりは、ずいぶん蝉の声がやかましいんだな」と思っていたし、あるときには、丁稚のダルビッシュに、
「蝉が鳴いてるよね」
と尋ね、「そんな音、聞こえませんよ」と言われれば、ああ、ダルビッシュは鼓膜に穴があいてるから聞こえるわけないよナ、とひとりで合点していたものだった。
眠りにつくときだって「夜蝉(よぜみ)の声 やまず いのち尽きるまで」と風流にも俳句まで詠んでいたのだ。
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老人性難聴。
またひとつ、引き受けなければならない変化がやってきた。