ワークショップ

 

 昨日、プリアタン・タガスにあるアートスペースで写真のワークショップがあった。


 日本のひとの主催する集まり以外は、開始時刻よりもたいがい30分は遅めに出かけるようにしている。

 3時開始の予定が実際には1時間も遅れて始まったのは想定外ではなかったものの、読みが甘かったせいで、3時少し過ぎに会場に着いてしまった。



壁一面にスクリーンが吊り下げられていたので、ひょっとしたらただのスライド形式のレクチュアかなと予想していたら、やはりその通りで、ワークショップというよりは「写真家による写真の読みかた」を聞く集い、といったほうが適切だった。スクリーンに映しだされている画像には「ファッション・フォト」のタイトル文字があり、きょうの主宰者のエミルがそちら方面のプロだから話はそういうところから始まった。チャップリンの話題はまったく出なかったが。

 


彼が講師の写真家エミル、ジャカルタ出身のインドネシア人。ほかの参加者が集まってくるまで雑談していた。


 頭にのせているのはバリ男子正装の「ウダン」、首から下がふつうなのは、彼にとってウダンはファッションではなく警官目くらまし用の「ヘルメット」。イスラム教徒なら金曜礼拝のときにヘルメットはかぶらず、ペチ(男子)やジルバブ(女性)を着用してバイクを走らせている姿を見るが、男子ヒンドゥ教徒は正装にウダンを着けてバイクに乗っていてもお咎めはない。ヒンドゥ教徒でもない彼がウダンをかぶる理由は、そのあたりにある。

 それにしても、話している最中にからだがあちこちへとなびくひとなので、携帯をつかって写真を撮っていたのだがほとんどブレてしまった。



ファッション・フォトとはべつに、幾種かの写真が紹介され、ブレをうまく利用して撮られた写真もスクリーンに映しだされた(どれもエミルの作品ではないが)。そのうちの1枚がこれだ。開放時間はどのくらいかわからないが、水面に浮かぶ一隻のボートの揺れの軌跡が淡い残像となって重なりあっている。


 規則的な波の動きにつられて揺れるボートの軌跡が、靄(もや)のかかった視界のなかで見るような印象を与える。ものの境界が曖昧になり、まわりの世界と浸透しあってゆく。
 同時に、実体よりも、その「影」のほうにこそ存在感のウエートがかかってくるようにも映る。影が微妙にずれて重なりあいながら実体を浮かびあがらせるという、現実とは反対のものの見え方がこの写真では成り立つようにも思える。


 この陽炎(かげろう)のような演出効果をもっと意識的、操作的に狙ったのが、下の写真だ。



中心に回転体を置き(人間でもいいのだが)、そこに色付きペンライトのようなものをくくりつけて回転させ露光撮影したもの。この写真家の名前は告げられなかったが、ほかには、もっと大きな回転体で撮影されたものがあり、UFOを連想させられた。


 ここまでくると、見えているものは光の軌跡という現象であって実体はない──少なくとも、実体のように見えているものはじつは存在しない、あるのは現象だけなのだと、まるで仏教の「色即是空」をヴィジュアル化したような写真に思えてきた。


 ところで講師のエミルは広告写真が専門だが、個人的なコレクションにはこんなものもある。



画面を上から下に3層で構成している。空、工場風景の描かれた壁面、籠行商の老人。撮影地はジョグジャカルタだそうだ。老人が脚を組んで眺めているのが壁画なのか空なのかわからないが、いずれにしても、彼の眺めている世界とは別に老人は居場所を探しているように思える。


 ほかにも印象的な彼の写真は多くあるのだが、スクリーンには公開されなかった。


 開始時間は1時間も遅れたのに、終了は予定通りの6時。

 外に出ると、空はまだ明るく輝いていた。