ワークショップから


 3月11日以来の日本のようすについては、ほとんどネットでしか情報が入らない状態がつづいている。
 新聞やTVの情報がかならずしも信頼できないのと同じように、ネットもまた情報源の不確かさや情報そのものの怪しさから信頼できない場合が多い。


 状況にも情報にも踊らされてはたまらない、というのがこの数か月の印象だ。


 あふれかえる情報のなかで、もっとも衝撃をうけた映像がこのドキュメンタリー「チェルノブイリ・ハート」だった。


 こんな悲惨な事実を知らなかった。知らないという怠慢をゆるしている無関心が自分にはあった。

 それはそのまま日本の原発への認識にもつながる。

 こんなものをつくり、はびこらせ、あげく事故を起こしながらそれを維持していこうとする国──そんなありかたを無言のうちに許容してきた「罪」を深く感じたのだった。罪とは、未来の人間に対するものだ。


 現在の繁栄のために次世代を殺す選択をぼくらはしつづけるのだろうか。


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 先週末は、恵泉女学園大学の学生たちのためのワークショップがあり、翌日には九大の学生たちによる工房探訪がありと、去年と同じスケジュールをこなした。



バナナの葉鞘を外側から剥いていくと、ひとつなぎになった茎と先端の実だけになる。巨大な1年草であるバナナのちょっと不思議な姿に、恵泉の学生たちは感動! のひとこま。


 年々、二十歳前後の学生たちの姿が幼く見えてくるのは、裏返せば自分自身の加齢を証しているわけだが、ことしは例年になく彼らが生き生きとして見えた。


 彼らに、これ以上、罪を重ねつづけることはできない。