ポトン・ギギ

 
 父親の葬儀のために7月以来帰省していた丁稚のダルビッシュが、昨日、50日ぶり(!)にもどってきた。


 もともと痩身なところをひとまわり削られてエンピツみたいになってしまった。炎天下での作業や儀礼がつづいたせいで、だいぶ黒くなっている。おまけに咳までしている。徹夜つづきで風邪をひいたのだそうだ。


 バリは儀礼の島なのは承知しているけど、ときどき、なにもそこまでと思うことがある。
「なにもそこまで」というのは、収入の何年分も儀礼のかかりに費やしたり、からだを壊してまでも儀礼を重んじるとか、今回のように、やはり身近なスタッフに50日もご無沙汰されるのはいろいろ不便が重なってたまらない、という意味。
 実際には、まとめて50日休む前の2か月ほどは、断続的に20日ぐらい休んでいるから、2か月以上休暇をとっている計算になる。


 それでも、笑みを絶やさない明るい表情でもどってきてくれたのにはほっとした。休みがつづくと、そのまま辞めてしまう人間も多くいるからだ。


 なんでそんなに長い休みになったかといえば、メインの葬儀のあとにポトン・ギギ=削歯儀礼がつづけて行われたせいもある。
 

 ポトン・ギギはバリ人の通過儀礼のひとつで、人類学の本によれば「成人式」に相当すると書かれている。門歯から犬歯までをノミで削って平らにして、いわば人間の内にある獣性を消し去るのが目的といわれている。



丁稚の歯がノミをつかって削られている場面。この削り師(?)はかならずブラフマナ階層のひとだそうだ。丁稚はなにも感じなかったらしいが、痛かったりこそばゆかったりするひともいるらしい。そりゃそうだろう。


 丁稚のところでは、二家族そろってのポトン・ギギとなったので総勢14人が儀式に臨んだ。下は、丁稚が携帯カメラで甥っ子に撮影してもらった写真。14人がずらりとお雛さまのように並んでいる。どの顔もよく似ているので、さすが親族だとまず感心してしまった。
 ちなみに丁稚は、上から2段目の右、すこし大きめのウダン(頭衣)の結び目先端をグイと粋にながして洒落ている。

 


 おいおい、いちばん右端のじいさんも成人式か !?

 どうもそうらしい。前列右端の青年がダルビッシュのイトコにあたり、その父親も今回晴れて式に臨んだのだ。息子といっしょに成人式...いいじゃないか。


 かなり以前、ポトン・ギギの儀礼に2度ばかり出席した経験があるが、どちらもさほど親しい間柄ではなかったので、歯を削ったあとの状態をくわしく見ることもできなかった。

 今回は愛すべき丁稚のポトン・ギギだから、心おきなくチェックできると、じつは彼が戻ってくる前から楽しみにしていたのだ。
 
 ジャ〜ン !!!



 歯のふちが、みごとにまっ平らになっていた!

「7本削ったんですよ」

 んん、なんで7本? 6本じゃないのか? と聞き返しても、いや7本だったと言っている。偶数ではなく奇数なのか? 
 しかも、上の歯列だけ削ったのだそうだ。獅子の歯並びをつい思い出してしまうくらい、上の歯だけがきれいに一直線に並んでいた。


 下の歯列はどうすんだ? 獣性がまだ半分残ってしまうじゃないか!


 と、チャチャをいれたくなるけど、丁稚のきれいに仕上がった歯並びをじっと見ているうちに、ふと、

「ああ、これは人類学者、ダマされてるな」

 という気がしてきた。


 ポトン・ギギは通過儀礼などというものではなく、バリ人のダンディズム、いわば彼らの美意識のたまものだ、と。

 ニコッと微笑みをうかべたときに、ちらりとのぞく歯並びがきれいにそろっていれば、しかも線を引いたようにまっすぐに、唇のラインに沿ってのぞいて見えれば、確実に微笑のレベルアップにつながる。実際、丁稚の歯列と唇のラインがうるわしいまでに調和している。これなら、ちらりと笑顔を見せただけで、ふらりとなびく娘がいてもおかしくない。


 ぜったい、そうだという気になってきた。


 だから、微笑んだときに見える上の歯列だけが整えられて下は放っておかれる。下の歯列は下唇に隠れて見えないのだから当然だ。そんな役立たずのものに、手間ひまかける必要もないというわけだ。
 獣性がなんのかんのというなら、本当はちゃんと下の歯列だって削ってなければおかしいではないか。
 それなのに、ひとを惹きつけるのには用のない下の歯は手つかずのまんまだ。
 ちょうど、バリの市街地の建物が正面はえらく豪勢に彫刻なんかで飾られているのに、裏にまわると荒々しいブロックやコンクリートがむきだしになったまま放っておかれるのに似ている。同じひとつの建造物とは思えないほどの差なのだ。
 

 見た目が大事、あとは、まぁいいやといった美意識なのである、これが。


 そもそも、どこの世界に息子といっしょに成人式をする親がいるか !? オヤジはあれで、もうひと花咲かせようという魂胆にちがいない。なかなか隅におけないオヤジだ。すでに60に手が届くはずだ。本人は、まだまだこれからと思ってるのだろう。
 本人が真剣にそう思っているなら、息子に混じってポトン・ギギに臨むのもよく理解できる。


 なるほどそうだったのか、ポトン・ギギは、これはもう間違いなくバリ人のプチ整形なのだ。通過儀礼にみせかけたカンペキな魅力づくりのプチ整形。

 ふむ...。


 やってみようかな...。