ボゴール熱帯植物園 1 非観光的スポット案内

 


 初めてボゴールを訪ねたのは '93年だったと思う。

 その頃はまだ日本にいたから、この都市を訪ねたのは「熱帯植物園」を見学するというただひとつの目的しかなかった。今回の西ジャワの旅では、ボゴールに住む、親しくしている学生と落ち合い一緒にバティックの産地、そして彼の生地でもあるチレボンまで足をのばすための中継地となった。
 


ジャカルタのスカルノ・ハッタ国際空港から高速バスに乗り1時間半、ボゴール市内に入るといきなり渋滞がはじまった。グリーンの塗装をほどこした小型バスは「アンコット / Angkot...Angkutan Kota の略称」でバリではベモと呼ばれる乗り合いと同じ。バリの場合、自家用車やバイクが急激に増えたせいか最近ではベモが走っているのを見る機会は減ったが、ボゴールでは市民の足としてまだまだ健在で、ご覧のような密集度──ふたつの地域の個人所得の差もあらわしているのだろうか。


 

 国内旅行そのものが久しぶりのことで、ボゴールに限らず今回最後に訪ねたスラバヤの街の、バリの日常風景とはまったく異なる景観に好奇心をそそられるのとはまた別に、じぶんの身をおく空間として馴染むのは都市や街としての成熟度がバリのそれより遥かに進んでいるからなのだろうと思う。
 もちろん、バリも含めこれらの都市が抱えている渋滞や大気汚染、ゴミ放置などの機能マヒや環境汚染はこの国の社会問題ではあるけれど、街並み景観としての魅力はあなどれない。
 
 その魅力も、じつはオランダ植民地時代に形成された都市計画や残存するコロニアルスタイルの建築物から醸しだされているわけだが、実質的な植民地支配が遅れていたバリの場合、あえてバリ伝統の建築物を維持保存するという植民政府の政策がいまの姿をとどめた──要するに、植民地としての収益率の低い地域は改造されずに旧来の景観を保つことができたのだ。

 歴史はフクザツで皮肉だ。



ボゴール植物園のすぐそばにあるホテルの窓からの眺め。



夕暮れになるとこのありさま...あの照明を撃て! と思わず口走る。


 ボゴールは中継地にしかすぎなかったが、ジャカルタに向かう日の朝、2時間ばかり余裕があったので結局、目の前にある植物園を訪ねた。80ヘクタールもある園内をくまなく歩くのは無理だから、蘭ハウスだけを目的に入った。

 植物園としての歴史のはじまりは1817年となっているが、それ以前、ナポレオン戦争の勝敗の結果、ジャワ島が一時的に英国支配におかれた1812〜1816年、かのラッフルズ総督がこの地に居住しイギリス風庭園をつくったという前史がある。この植物園の「目玉」でもあるラフレシアの語源も、この総督の名に由来しているそうだ。

 蘭印総督府 / イスタナ・ボゴールはこの植物園に隣接し、広大な敷地に当時のままの建物が残り、庭園には、どういう理由でそこにいるのか尋ねる機会もなかったが、奈良公園の鹿の数をあきらかに上まわるほどの鹿の群れが優雅に “散策” していた。



4か所ある入園口の正門。'93年に来たときには果たしてこの入口を通ったのかどうか記憶が不確かで、建物に見覚えがあるといえばいえるし、どうも初めてのような気もするしとめっきり怪しくなってきたじぶんの記憶力にため息つきながら、右手階段をのぼりチケットを買った。
入園料は9500ルピアと、いまのレートではたった80円弱で、ウブッドにある手入れも行き届かないまま寂れたボタニカル・ガーデンの入園料5万ルピア(415円)と比べると、ここが外国人ツーリスト向けというよりは、市民に開放された施設なのだと納得した。



園内に入り、蘭ハウスをめざし歩いているうちに爽やかな歌声が聞こえてきた。どうやら女性歌手のヴィデオ撮りらしい。朝の空気をふるわせる澄んだ声に歩みをゆるめたが、仕事の邪魔をしてはいけないと近づけなかった。



彼女が腰をおろしているのはメンガリスの板根で、この常緑大高木は高さ70〜80メートルにもなるという。熱帯の大木は1枚の写真におさまりきらないといわれるが、板根の部分ですら、ひょっとしておさまりきらないのではないか?


 朝の散歩をかねて植物園を訪ね蘭ハウスを目的に歩いていたのだが、やはり熱帯高木の存在感の威容さに圧倒されしばしば立ち止まっては、空をめざして伸びていく樹形に見惚れた。

 確かに、1枚の写真の枠内にはおさまらない。
 そういうわけで、目線の高さの範囲でいくつかの樹木にカメラをむけた。






 最後の2枚は、インドネシアではカポックと呼ばれるアオイ科の高木で綿を産出する。高さは60〜70メートルにも達するらしい。
 このカポックであるが、わが家の庭にも1本あり、いわく説明しがたい事情から8 年ほど前に物置小屋のすぐそばで芽生え、あれよあれよというまに生長しつづけ毎年綿の実をつけるようになった。最初の年には、じぶんの人生で、みずから綿を収穫する体験など想像もしていなかったので、大喜びで綿摘みをした。

 ところが、翌年、さらに高く伸びたカポックから綿を収穫するのはほぼ不可能とわかった。
 手が届かないのである。
 広がった枝いっぱいに綿の実がぶら下がり、やがて熟して果皮がはじけると綿はいっせいに風に飛ばされ、牡丹雪でも降ったように地面を覆い、屋根に積もり、細かい綿毛は口や鼻に入ってくるようになったのである...。

 木を矯(た)めるといえば聞こえはいいが、以降、つねに樹高が 2,3メートルにとどまるよう伸びれば伐り、また伸びれば伐りをくりかえしている。

 が、根だけはどんどん大きくなって広がりいまや物置小屋の床下にまで侵入しているのだから、植物園でこの巨大な板根の育ち具合を見て仰天したのは、いつかきっとウチの物置小屋は傾くにちがいないと確信したからなのだ。

 それにしても、板根の表皮に広がるこの剣菱の剣先のような突起物には、いったいどんな「存在理由」があるのだろうと首をかしげた。


 そういえば、蘭ハウスに行く途中にあるオオオニバスの池で見た「コインと耳かき綿棒」も存在理由の不明なシロモノであったな。