蟲賦(むしのうた)
変身
朝、目が覚めたら背中に翅がはえていた。
すぐにカフカを思い出したが、翅があるので少し安心した。
翅を広げようとすると目の前に猫がやってきた。
猫の名前を呼ぶと、爪がいきなり翅をちぎった。
叫び声をあげた刹那、夢から覚めた。
それで、まだわたしはサナギのままなのだと分かった。
靴
てんとう虫に交際をもうしこまれた。
それで映画を見にいく約束をしたが、いっしょに歩いているうちにうっかり踏みつぶしてしまった。
二匹目のてんとう虫は電車のなかで、三匹目は部屋に入るときに、うかつにも踏みつぶしてしまった。
だから、きょうは新しい靴を買いにいく。
腹の虫
虫の喧嘩の仲裁をたのまれたので、公園にでかけた。
金色の虫と黒い虫が顔を真っ赤にしてプリプリしている。
言い分を聞こうと近づいてみたけれど、二匹の虫は互いを罵りあうだけでラチがあかなかった。
手をこまねいて公園の奥に目をやると、陽だまりにおかれたベンチでふたりのピエロが指相撲をしていた。
なあんだ。
来客
白い蛇が訪ねてきた。
茶菓でもてなすと、小一時間かけてゆっくりとたいらげていた。
話のきっかけを探しているうちに眠りに落ちてしまった。
目が覚めると、白い蛇は消えていた。
窓の外に、野原を走っていく狸が見えた。
行列
蟻の行列に誘われたのでついていくことにした。
炎天下の砂地を一列に進んでいく姿は、大地の縫い目にも見えた。
砂丘の東の果てにあるイモリの死骸をめざし歩いているうちに、おおかたの蟻は消えていなくなっていた。
やがてその場所に着くと、野犬の足痕だけが夕陽の影になっている。
空腹のままわたしはさっき来た途を戻ることにした。
蝉
森を歩いていると蝉に声をかけられた。
「一緒に暮らさないか」
いきなりそう言われても困るとこたえると、
「だいじょうぶさ。ちょっと耳をかしてくれ」
言うが早いか、蝉はまっしぐらに耳のなかに飛びこんできた。
以来、わたしの耳のなかでは蝉が鳴きつづけるようになった。
昼となく夜となく。
蝿
眼鏡の右レンズに蝿がとまったまま、私の瞳をのぞきこんで言った。
「何を見てるんだ」
無礼な蝿もあるものだ。私は素っ気なく言った。
「お前の見たこともないものさ」
「頼むからおしえてくれ」
蝿はそう言って手を合わせた。
ならば...、とわたしが言いかけたとき、蝿はフゥ〜ンと唸りながら飛んでいってしまった。
わたしは大急ぎで蝿叩きを探した。