眠れないあなたと

 満室


 眠りの入口のドアを叩くと奥から咳払いが聞こえたので、再び闇の通路を手探りで歩いていた。

 別のドアが手に触れ、戸板に耳をあてると微かに寝息がもれてくる。つぎのドアからは歯を軋(きし)る音が聞こえてきた。


 今夜も眠りの入口はどれも塞がっているので、通路に腰をおろし暗闇をみつめている。






 詩人


 眠りの森の吟遊詩人がやってきた。

 彼の朗読はどんな不眠症者も眠りに導くという噂だ。


 私は寝台に横たわり、詩人は椅子に座った。


 帽子と外套を脱ぐと、彼はぱたぱたとそれを叩いた。黄色い埃がもうもうと湧きたち、私はむせった。咳きこむ私を助け起こそうと詩人が立った拍子に、椅子は音たてて床に倒れた。


 私はゼイゼイ息をしながら壊れた椅子を見つめていた。




 睡魔


 浅い眠りから覚めると、首筋に手の感触が、置き去りにされた温もりとともに残っていた。

 開け放たれた窓が風に揺れているので起きあがって閉じようとしたら、月の光に照らされた丘の道を睡魔が駈けのぼっていくのが見えた。


 遠のいていく睡魔は一度だけ立ち止まり、ふりむいてから手をふった。


 首筋に、微かに手の感触がよみがえった。






 突起


 寝返りをうつと、シーツの下で何かが蠢(うごめ)いた。


 起きあがってみると、小さな赤い突起が一面に生えている。指先でつまむと音がした。ひとつ、またひとつとつまみながら、突起物のたてる音に耳をすましていたら窓から朝日が差してきた。


 洗面所に立って鏡を見ると、赤い突起が顔一面に生えていた。






 


 ペタペタと扉をこする音がしたので開けてみると、眠りの尻尾が落ちていた。


屈んでつかもうとしたら、するりと逃げてへらへら笑っている。近づいてもう一度つかもうとしたら、ぴしっと指を叩かれ、尻尾は土のなかに潜りこんでしまった。


 部屋に戻り手を見ると、薬指に青い痣(あざ)ができていた。




 待つ


 眠気売りの少女を待って私は窓辺に腰かけていた。


 雪は街を覆いつくし、さらにしんしんと降っている。犬の遠吠えが放物線を描くように落ちてきた。 
 その時、誰かが道をやってくる気配がした。


 ──少女だ!


 私はつぶやく。

 足音は近づいて止まった。


「おっちゃん、マッチ買うてぇ」


 ──違う!


  私は怒りに震えた。